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をしておりましたが、急に私どもの故郷の小松に帰ることにしました。「ことばの教室」の設置校ということで越境入学となりました。六年間に使った二十冊近い連絡帳をめくりながら、思いをめぐらしておりますと、当時、感動したこと、胸もはりさけんばかりの悔しい思いをしたことなど、ひとこまひとこまが思い出されます。好きな本や靴を隠されたりすることもありましたが、その都度、「お友だちは恭世がどこまで、へこたれずに頑張れるか試しているのよ、負けないで頑張ろう」と、常に励ましながらの毎日でした。
ときには嬉しいこともありました。三年生のときです。当時としては、難聴児にとって至難の技とされていた電話をかけて来ました。学期末になると、学校においてある道具など全部持ち帰りますが、その中に図書を借りるときに必要なカードも入っておりました。大変本好きな娘は、もう一回だけ図書の貸し出しがあるという先生の話に、借りたい一心でことばの教室の先生に十円借りて電話してきたのです。私はびっくりして、隣近所の方に聞こえるような大きな声で必死でした。校門の前で待っていた娘は、駆けつけた私の顔を見て、電話が通じた喜びか、それとも本が借りられる喜びか、ありがとうを連発しながら走って行きました。あの姿はいまでもはっきり覚えています。
高学年になってからは勉学の方も意欲的になり、スイミングクラブにも入って精神的にも強くなりながら、小学校を終えることができました。こうした成長は先生方のお力は言うまでもなく、主人や母が自立心を育てようと子供の方向づけをしてくれたお陰と思っております。
中学進学に際し、初めて中学校にも言葉の教室が設置されました。当時、親の会の会長を続

 

 

 

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